パーマカルチャーツアー訪問先紹介③【森口直樹さん、関麻実子さん】

第1回:6/29(土)-30(日)

森口直樹さん、関麻実子さんの自己紹介

「4年前に「小屋」」から引っ越して、今は「掘立の家」で暮らしています。
ソーラーシステムは、改良しながら順調に稼働しています。
先日、「冷蔵庫」→「冷凍庫」に変わりました。
お風呂はまだないので、相変わらず温泉通いです。」

『白州発開拓日記』
http://www.pluto.dti.ne.jp/~rin/

5年前にお二人の暮らしが朝日新聞に掲載されました。その時の記事をそのままご紹介します。

「(脱主流派宣言:6)東電と原発さよなら 小屋建て自給8年」

電力会社と無縁の暮らしは、もうすぐ8年を超える。
 山梨県北杜(ほくと)市の森口直樹さん(46)と関麻実子さん(49)の朝は、まきストーブに火をおこすことから始まる。
七輪で野菜スープを温め、ラジオを聴きながら自家製ライ麦パンの朝食。窓から日の光が差し込み、約4メートル四方のこぢんまりとした小屋がゆっくり暖まっていく。

 2人は2000年に神奈川県相模原市から移住した。自分の家は自分で建てたい。住宅関連の職人をする直樹さんの夢だった。借家暮らしをへて雑木林に660坪の土地を購入し、03年に小屋を建てた。

 麻実子さんは「原発銀座」と呼ばれる福井県敦賀市で生まれ育った。地元にいるときは感じなかった原発への違和感は、大学時代のチェルノブイリ事故で生じた。故郷の立派な施設や道路は、住民が危険と隣り合わせに暮らすことで得られたものだったのか。
 「原発に頼らない暮らしができたらいいよね」。本やネットの情報を参考に、最低限の電力を供給する太陽光発電システムを組んだ。06年に借家を引き払い、以来、自給自足の電気で暮らす。
 昼――。小屋から10メートルほど離れた建築中の「母屋」で作業する。
 着工から8年。敷地内で伐採した樹木や解体された家屋の廃材を使い、建坪12坪を2人で少しずつ作り上げてきた。8割方できあがり、床板を張ったら今年中には生活の拠点をこちらに移す予定だ。もちろん、電気は引かない。
     *
 小屋での暮らしが5年を迎えようとするとき、東日本大震災が起きた。日本中が節電ブームに沸き返るなか、2人の暮らしぶりを学びたいという声が地元で上がった。
 「東電とさよならするためのステップ」。2人はそんな資料を作り、勉強会を開いた。
 《電気の使用量を極限まで削るのが肝心。なくてもすむ家電はドライヤー、テレビ、電子レンジ。炊飯器は鍋で代用できるし、電気ポットは魔法瓶で十分》
 実際、2人の周りにある電化製品といえば、照明とラジオにノートパソコン、携帯電話、脱水機能だけを使う二槽式洗濯機ぐらいだ。母屋の建設と畑仕事を中心に、まき割りやウコッケイの世話などで明け暮れる毎日。現金を得るため月に何日か、建築仕事などの手伝いに出るが、自分たちでできること、作れるものには極力、お金をかけない。
 しかし、勉強会をへて自家発電に踏み出した人はいなかった。麻実子さんはそれも仕方ないなと思う。「ここまでの生活はできないと思われたんでしょう。私たちも以前はそうだったから」
 神奈川県内のアパートで暮らしていたとき、身の回りは電化製品であふれていた。月5万円の生活費で田舎暮らしする人の雑誌記事にも、「私たちには無理」と思うだけだった。
 「私も給湯器とかじゃんじゃん使ってた。でも、なくても困らない程度の便利さだったって、今なら分かる。便利さに流されなければ、本当に必要なものって意外に少ない。でも、なかなか気づけない」
 夜――。オレンジ色の明かりが照らす小屋に、ラジオが都会の喧騒(けんそう)を運んでくる。ネオンもイルミネーションも、はるかに遠い。
 いま欲しいものが一つだけあって、録音機能のついたラジオなのだと、直樹さんが言った。夜中の番組を録音しておいて、昼間に聴くために。
 「でもまあ、すぐにはいらないかな」
 「だよね」
 2人で笑った。(松川敦志)